桐生市は、奈良時代には既に絹織物を朝廷へ献上していた記録があり、「西の西陣、東の桐生」と称されるほど織物で知られた。江戸時代から近代にかけては絹織物産業が地域経済を支え、のこぎり屋根工場など独特の産業景観が形成された。織物産業で財を成した商人や実業家は、明治・大正期に近代化の象徴として洋館を建設したため今も多く残る。
士幌線は、十勝北部の農産物や森林最後に資源搬出のために開通した帯広駅から終点十勝三股駅までの78㎞20駅をつないでいた。しかし、森林資源の枯渇と国道の開通で1978年12月に糠平ー十勝三股間20㎞が休線、JRになる直前の1987年3月に全線が廃線となり、63年の歴史を閉じた。
関東の各私鉄が都心のターミナル駅と郊外の住宅地を結んでいるように、観光・保養地とも繋がっている事を意識したことはありますか?小田急は箱根へ、東武は日光へ、京急は三浦へ、そして西武は秩父へと続く。意外なことに秩父は他エリアとは違い、往時を偲ばせる近代建築の街であった。
2015年7月1日。UR都市機構の依頼でベトナムホーチミンの地に居た。偶然その日は、ベトナム史上、初めて外国人に不動産投資市場が開放された日である「住宅法」施行開始日。私もせっかくの機会なので、新築コンドミニアムのモデルルームを幾つか視察し、デポジットを入れ購入申込。あれから10年。ベトナムホーチミンがどう変わったのかを振り返ってみたい。