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ブログ 水無月~令和八年 群馬県桐生市 明治擬洋風建築や近代文化遺産の宝庫を訪ねて 2026.06.25
桐生市内には、日本遺産構成文化財が6件、130件超の国登録有形文化財がある。
日本遺産とは、地域の歴史的魅力や有形無形の文化財群を通じて市町村が伝える「物語(story)」を文化庁が認定する事業。
当社の「地域の歴史や文化を通じて"history"から"story"を新たに創造し、活きた不動産をプロデュース」するミッションと呼応するので興味深い。
今回のルートは、北は群馬大学工学部から重要伝統的建造物群保存地区を抜けて、本町通りを南下しJR両毛線桐生駅周辺へと向かう。写真は全て国登録有形文化財。
まず大学正門と脇にある守衛所、その奥にある同窓記念会館。1916年築。当時は旧桐生高等染織学校本館・講堂として利用され、戦後に同大学理工学部となる。

本町通りから少し外れるが、旧金芳織物工場でベーカリーカフェ「レンガ」は、広い空間を生かして飲食店として再生。煉瓦躯体のノコギリ屋根建築は市内唯一で貴重。

ここからは、伝統的建造物保存地区。いずれも20世紀初頭に建てられたもの。現在も店舗や事務所、工場として利用されている。


JR桐生駅北側にある織物記念館と上毛鉄道西桐生駅舎(左側2件)。
スクラッチタイルやギャンブレル屋根、上げ下げ窓、円窓など昭和初期のモダニズムを感じる。
駅南側にある共に大谷石で当時建築した工場と蔵(右側2件)。
現在は美容室と歯科医院に転用して営業中。

国指定重要文化財である明治館。前橋市に建てられた医学校兼衛生所として1878年に建築。
近代建築聡明期の擬洋風の代表作。現在はギャラリーとして活用。

最後は、市指定文化財の桐生俱楽部会館。1900年発祥の社交機関を母体とする同俱楽部が現在も使用。スパニッシュ瓦、上げ下げ窓、玄関ポーチの列柱、複数の煙突、趣きのある階段など細部に至る所に洋館のこだわり。


番外編として、わたらせ渓谷鐵道(桐生〜日光間藤間約44km)「相老」駅。偶然待ち時間に 窓ガラスのない「トロッコ列車」と東武鉄道「りょうもう」が停車。
右はJR桐生駅構内にあった沢村栄純のブロンズ像。織都だけでなく「野球の街(球都)」として町おこし事業のシンボルとして設置。いずれも、桐生市の前向きな取り組みを感じる。

本ブログで本年2月に投稿した「埼玉県秩父市 レトロ建築の聖地へ 和洋館立ち並ぶ近代建築の街を行く」の秩父は、桐生と「絹織物」で栄えた歴史と近代洋館建築が多いなどの共通点があるが、その後の街の変化には大きな違いがあることは興味深い。桐生は産業技術やモノづくりの伝統によって工業都市となり、秩父は祭礼・信仰、豊かな自然を活かした観光都市と独自の変化を遂げたが、往時ほどの繁栄には遠い。
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